Interview 恵まれない境遇の子供たちが、活躍できる社会をつくる

ネクステージグループホールディングス株式会社 部長

神浦 瞳(2018年入社)

1986年生まれ。東京都出身。高校卒後、18歳からフリーターとしてパチンコ屋、事務職、コンビニ等アルバイトを掛け持ちし、27歳で経理委託会社に初就職。
31歳の時にネクステージGroupに中途入社。財務経理部に所属し、主にグループ全体の財務、経理業務を行う。
2020年10月 財務経理部 経理チーム課長に就任、2022年には財務経理部 部長へと昇進。ネクステージGroup全体の財務体制の改善を経営者と共に行っている。

ヤマンバギャル』から経理職へ

両親の離婚で、小学生の頃から母と祖母と三人で暮らしていました。学生時代はいわゆる「ヤマンバギャル」に憧れて、高校生の時には気が付けば自分もヤマンバギャルになっていました。

その後も、高校を卒業してからバンドの追っかけをしつつフリーターを続けるなど自由奔放な生き方をしていました。しかし、25歳ごろ急に自分が正社員ではないことに不安を覚えるようになりました。当時は、簿記すらも知らない状態でしたが、どうしてもきちんとした仕事に就きたいと思い、アルバイトで働いていた会社に頼み込み、経理事務として正社員登用していただきました。

その会社では会計の勉強をしながら4年間勤務しました。働いている中で、もっと仲間とやりがいのある仕事をしていきたいと思うようになり転職を決意し、就職活動で目に留まったのがネクステージGroupの求人でした。

やりがいと仲間を求めて

初めての転職で少々緊張はしていましたが、ネクステージGroupのSNSや理念・ビジョンを事前に見て、わくわくした気持ちで面接に行ったことを覚えています。エントランスで待っているときに、通り過ぎる社員さんが全員、元気に挨拶をしてくれたのが凄く印象に残っていました。

前職では1人で経理業務をこなしていて、毎日同じことの繰り返しで、やりがいを感じられませんでした。今回の転職では、仲間と一緒に何かを成し遂げたり、新しい事ができる環境を求めていた私は、選考が進み、社内の雰囲気を感じる中で、「絶対入社したい」という気持ちが強くなっていました。

前職で経理業務は経験していたものの、社会人としてスタートしたのが27歳だったので、普通の人に比べればすごく遅れているという感覚がありました。それなら、泥臭くても、がむしゃらに挑戦し仲間と共に成長できる環境にチャレンジしたいと考えベンチャー企業であるネクステージGroupに飛び込みました。

母との別れが自分を変えた

人生の大きな転機となったのは、母との死別でした。ネクステージに入社して1年ほど経ち、仕事も楽しく充実した生活を送っていた私は、母のことを考える時間が少なくなっていました。

「救えたはずだったのに」突然の母の死は、私の人生で一番悔いが残る出来事でした。女手一つで私を育ててくれた母と、理解し合い、助け合いながら生きていきたかったのですが、その前に母は亡くなってしまいました。

当時の私は、人生をあきらめかけ、心も体もボロボロで仕事もできる状態じゃなかったのですが、会社の仲間が懸命に支えてくれたり、一緒に泣いてくれたり、私が「また頑張ろう」と思える言葉をたくさん貰いました。

今では、自分を救ってくれた仲間とともに、自分の夢も会社の夢も叶えたいと思えるようになりました。仕事も人生もあきらめかけたあの時の出来事が私を強くし、覚悟を教えてくれました。

家庭環境で苦しんでいる人のために活動したい

私の好きな言葉は、「止まない雨はない」どんなに大雨だったとしても必ず雨は上がりそこには綺麗な虹が架かる。どんなに辛い事があっても、必ず悲しみから抜けられる。そう信じて頑張っていこう。そう思えた言葉です。

わかり合う前に、母が亡くなった悲しみはこれからも消えませんし、ずっと背負っていく事と思います。そしてこの経験を無駄にしないために、今は外部でボランティア活動を行っています。母のように苦しんでいるシングルマザーの方々や両親とうまく接することが出来ない子供たちを救いたい。「私と同じ想いをする人を少しでも減らしたい」そのための活動です。

まずは、児童養護施設出身の方々が、活躍できる場をネクステージGroupで創りたいと思っています。いずれは家庭環境で苦しみ続けている子どもや、親御さんを助け出せる活動ができたら最高ですね。目標に向かって一歩ずつ進んでいきたいと思っています。

これからもネクステージGroupの仲間たちとともに働きながら、自分の目標に一歩ずつ近づいていけるように努力していきたいと思っています。

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